ライター編集者・友光だんご日記

編集者/ライター・友光哲(友光だんご)の日記です。

サバイバルへの憧れは遊動生活の名残り?/読書メモ『暇と退屈の倫理学』

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こんにちは、友光だんごです。

ライターの根岸さんに勧められた國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』が大変に面白かったので、雑感をメモします。

主に興奮したポイントとしては

・「サバイバルもの」を面白く感じるのは、人間の「定住革命」が原因だった? 

になります。

 

※『暇と退屈の倫理学』という本をとっってもざっくり言うと「なぜ人は退屈するのか、そしてその生とどう向き合っていけばいいのか」ということを考える本です。

 

なぜ人は退屈するのか

まず、退屈はなぜ、どうやって生じたのかという問いに対し、著者の國分氏は「定住革命」という考えを例に挙げます。

・人間という生き物は、縄文時代(約1万年前)までは移動しながら狩猟採集で食料を得る「遊動生活」を送っていた

・氷河期が終わり、温暖化が進むと大型動物などが減り、狩猟生活が困難になった。そこで人間は「定住生活」へと切り替わった

「定住」は人間にさまざまな変革をもたらすのですが、ここで重要な変化は「庭樹により、人間は退屈を覚えるようになった」ということ。なぜか?

 

 遊動生活では移動のたびに新しい環境に適応せねばならない。新しいキャンプ地で人はその五感を研ぎ澄まし、周囲を探索する。どこで食べ物が獲得できるか? 水はどこにあるか? 危険な獣はいないか?… (P.91より)

 

 しかし、定住するようになるということは、「常に同じ環境に身を置くこと」を意味します。そのため、今まで新しい環境へ適応するためにフル活用していた脳の能力を「持て余す」ようになってしまう。その「持て余し=退屈」とされます(本の中では「新たな負荷を求める」と表現)。

 

遊動生活=サバイバル生活では 

この「遊動生活で五感をフル活用する状態」って、イコール「サバイバル状態」だと思うんですよ。ちょっと話が飛びますけど。

僕、サバイバルする話がとっても好きなんですよね。吉村昭漂流』とか島田覚夫『私は魔境に生きた』とか。

文明が一度滅んだ近未来の世界で人が生きる話(ナウシカ的な世界観のやつ)もサバイバルものの面白さがありますし(椎名誠の『アドバード』『武装島田倉庫』に連なるSF群とか、オールディズの『地球の長い午後』とか)、

あと原始生活YoutuberのPrimitive Technologyの人とか。ずっと自然音が流れてるので入眠動画としても良い。


なんでこう好きなのかな、と思っていて、男子の憧れとかよりもっと根源的に、人間の生き物としてのルーツにまで遡るんじゃないか?と興奮したんですね。

娯楽としてサバイバルものに触れる行為は、まさに退屈から逃れようとする人間の本質的な欲求なのではないか、みたいな……

 

 

だいぶ頭の悪そうな感じになりましたが、『暇と退屈の倫理学』後半の

退屈から脱するには、「贅沢」を取り戻す=衣食住や娯楽を「楽しむ」ことが必要。つまり生きることに対する解像度を上げ、思考に対して開かれた状態になること…

という話もとても面白くて。

ここで紹介したのは本の内容のごく一部なので、気になった方はぜひぜひ『暇と退屈の倫理学』を読んでみてください。