2023年まとめとワームホールの話
小説をよく読んだ
今年は個人的に小説の当たり年だった。大きめの書店が家の近くになったのもあるかもしれない。なんとなく書店に行ってなんとなく棚を眺めてなんとなく手に取った本がとてつもなく面白い、みたいなことは多い。働き出したくらいからその時間が減っていたけど、元々自分はこういうのが好きだったのだ。原点回帰。YAの小説がやっとまた読めるようになってきた。
『成瀬〜』の作者は滋賀県大津市のローカルブログをずっと書いていた方。『成瀬〜』も大津が舞台なのだけれど、岡山県岡山市育ちとして郊外の風景を思い出しながら読んだ。1月にシリーズ続編も出るらしいので楽しみ。
『万事快調』も郊外が舞台の小説。なんとなく次のジモコロのテーマで「郊外」をやりたいなと考えていたのだけれど、友人と話していて郊外とフィクションは相性がいいのでは、という仮説。ある意味、田舎よりも余白の多い土地だから、そこには物語が載せやすい? というか物語でも載せないとどうにもならない、と言ったほうがいいのかも。という意味では森見さんに取材した時の話とも繋がるような。
あとはSFもよく読みました。
ジモコロは無限のワームホール
ジモコロ編集長として何がしたいか、みたいなことを考え続けた1年でもあったんだけど、自分にとってのジモコロは「ワームホール」だ!と思い至りました。
めちゃくちゃざっくり言うと、「違う世界へジャンプできる、すごいトンネル」がワームホールです。
自分自身、ジモコロを通じて気づけばだいぶ人生が面白いことになっていて。ワームホールを抜けたら「だんご」という名前になっておもしろローカルの世界の真っ只中にいたわけです。これもSF。
つねづねジモコロで「間口は広く、奥行きは深く」を記事の編集方針にしてたんですが、奥行きのその先がどうなっているかというと、また別の広い世界に繋がってると思うんですよね。ひとつの好奇心はきっかけとなって、また別の好奇心を芋づる式にどんどん呼んでくる。
本や雑誌やメディア自体がそういう「別の世界への入り口」ではあるんだけれど、縦スクロールでリニアな構造のウェブ記事は特にワームホールっぽいな、と思います。だから結論として一つの答えを提示したいわけではないし、今まで知らなかった世界の入口でありたい。そんな感じで来年もやっていこうと思います。
書いた記事
仕事についても簡単にまとめます。自分で書いた記事が10本、構成手伝ってもらった記事が4本。
doyoukyoto2050.city.kyoto.lg.jp
イベント写真撮影
登壇
・個性を際立たせる 企画の方程式【N1インタビューライター養成講座】
https://n1-interviewwriter-special2.peatix.com/view
2022年の仕事と思考ふりかえり
今年は旅を増やした1年だった。はっきりしたきっかけは覚えていないけれど、なんとなく「そしたらもっと旅して取材して書きまくるわい」と思ったような記憶もある。あと旅を増やすとどうなるのか、が純粋に気になったので。
というわけで夏前くらいから、ほぼ毎週どこかしらへ出張していた。行った街を羅列してみる。
八戸、弘前、富士吉田、三島、新潟、岡山、広島、松山、豊島、丸亀、郡上八幡、浜松、札幌、名古屋、藤野、沼尻高原、京都、甲府、黒磯、三崎、蒲郡、高崎、松本、伊那、信濃町、塩尻……
こう書くといろいろ行ったなあ、と思うけれど、まあ上には上がいくらでもいるので当社比として。なかでも青森と福島に行けたのは嬉しかった。なんだかんだ大体の都道府県に行っていて、残りが「青森・福島・鹿児島」だとわかったのが去年くらい。
うっすら目標にしていたところ、そのうちのふたつはお声がけいただいたり、流れだったりで行くことができた。特に青森はお世話になっているパイセン栗本千尋さんのお誘いで一緒に八戸飲みもできたし、気になっていた「キリストっぷ」の取材もできた。
あとは鹿児島で全国制覇なので、来年の目標のひとつ。
辻堂への引っ越し
今年は10月に辻堂へ引っ越したのだけど、振り返るとこれも旅増やしと繋がっている。昨年末にジモコロで記事も書いたのだが、そろそろ都内出てもいいかもなあ、とはぼんやり考え始めていた。
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango50
妻と「どういうところなら引越したい?」という話をしながら、物件情報をググってみるところからまさに始めていたのだけれど、下北沢への出勤がハードルで引っかかっていた。前の家からは30分弱だったので、どこへ行ってもアクセスは悪くなるし。
そんななかで出張を増やしてみると、東京オフィスのボーナストラックへ行けるのが週2回くらいになった。週2しか行かないんだったら、片道1時間強でも通えるな、ヨシ!ということで辻堂への引っ越しを決めました(辻堂引っ越しの話はまたジモコロか何かでまとめて書きます)。
そんなわけで通勤時間も長くなって、少ししてから「こういうことか!」と思った。なんか全然時間がない。出張中はまとまった時間がとれないから、編集やら原稿書きやらの作業はそれ以外の日になる。でもそのそれ以外の日に通勤で2時間〜3時間くらい時間がとられる。これは大変だ。
おまけにHuuuuのチーム規模も多くなって、1on1やらMTGの時間も増えているのでいよいよ時間の使い方を考えないとなあ、となりました。と同時に、だから諸先輩たちは「やってこ!」と叫んでたのか、と。
結局全部やりたいことをやった結果だし、小手先の効率化よりも「全部やる」しかないな〜と、そっちに自分を向けていってます。
今年書いた記事
そんな風にして今年書いた記事です。自分で書いた記事が20本、構成手伝ってもらった記事が3本。
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango51
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango52
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango53
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/kakijiro55
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango54
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango55
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango56
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango58
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango59
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango57
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango60
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango61
【特集】コロナ後の経営を担う人に薦めたいBOOKリスト/池の平ホテル&リゾーツ・矢島義拡さんインタビュー
【特集1】シニア人材の雇用で得られるメリットとは?/小川の庄・権田公隆さんインタビュー
【特集】社員が抱える課題や不安、 不満とどう向き合うべきか? 今、問われる部下を主体とするリーダーシップのあり方/株式会社三泰・古畑裕也さんインタビュー
「学び」を掘りたい
「書く」を軸にしよう、と思ったのが昨年のこと。その方向でやれた1年だったのだけれど、次は編集者としてもう一段上に行かなきゃなあ、と思っている。自分で書くだけでは限界があるし、その軸は大事にしながら、人を巻き込んで一緒につくっていく編集者としての動きに意識して取り組みたい。
あと、気になっているテーマは「学び」です。今年はじまったジモコロの特集「若者がすべて」の取材でいろんな若者の話を聞いていて、「学び」の話が必ず出てきて、どれも面白い。学び方は人それぞれで、自分で見出していく人、大学で出会う人、地域の中に先生がいる人……学びへのモチベーションが湧くタイミングやきっかけもさまざまななのが面白くて、いろんな話を聞いていきたい。生き方に繋がる学びの話。
2022年のプレイリスト
挫・人間にハマって狂ったように聴いていたと思っていたけど、一番聴いてたのは二代目水カンでした。BASE BALL BEARもそうだけど、それでも続いていくバンドが好きなんだな〜と。
極私的・森道市場のはなし
しばらく前にアカウントが停止されたはずのはてなブログに、どういうわけかログインできた。いい機会なので久しぶりに書く。
ここ1ヶ月ほどは毎週のようにどこかへ出張している。長野が月2回ペースくらいになった。オフィスのMADOができたから、長野へ行くのがうんと気軽になった。
先月末には「森、道、市場」が開催されて、その直後に両親の長野旅行へ同行し、さらに長野取材をくっつけて東京へ帰る1週間くらいの出張。旅ハシゴにもだいぶ慣れてきている。
さて、なんといっても「森、道、市場」だ。今年は特別な森道だった。詳しくはジモコロの記事を書いたのでぜひ読んでほしいのだけれど、2017年から何度も取材させていただいていた、主催者の岩瀬さんが亡くなった後の森道だったからだ。
そもそも、2017年の森道取材をジモコロライターとして担当したのもたまたまだ。たしかFacebookのコメント欄のやりとりをきっかけにパーヴェイヤーズのコバさんが岩瀬さんと柿次郎さんを繋いでくれて、森道出店者が集まる会へ取材がてら参加することになった。
僕はHuuuuに入った直後で今思えばずいぶん暇だったので、柿次郎さんに誘われてホイホイ着いていった。当時フェスに行ったこともなかったので、タイミングだけでライターを担当できたわけである。
改めて見るとまだ自分の見た目がホヤホヤすぎるのだけれど、ジモコロで意識している「インタビュー相手の『感じ』をできるだけそのまま再現する」ことが、この辺りから始まっているように思う。岩瀬さんはなんとも不思議な人で、だからこそジモコロで何度取材しても興味が尽きなかったのかもしれない。
その後、2018年に森道へ出店側として参加し、初日の夜に一番の衝撃を受けた。テントに出店者たちが集まり飲んでいると、その日出演していた某有名ミュージシャンが現れてギター片手に歌い出したのだ。さらに、出店者もピアニカを取り出し即興セッションが始まる。なんだこの夢みたいな空間は、と思った。
夜の海辺に、ポツポツと明かりのこぼれるテントが並び、年に一度の再会を喜び合う声がする。数日経つとテントは消え、それぞれの現場へ戻っていく。年に一度だけ現れる幻の街みたいな空間に、そのあたりですっかりヤラレてしまった。
客として行ってももちろん最高なのだが、出店者になると120%最高なのが森道だと思う。
2日前乗りした日や、撤収中のガランとした会場では、本番よりも少し余裕のある顔で自転車を漕ぐ岩瀬さんや山田さんと遭遇して、立ち話ができた。そういう時間も好きだった。
そんなわけで、自分の中では前乗り準備・撤収までがセットの森道だったのだが、今年は客として行くことになった。Huuuuは例年、1週間くらい営業日を費やして参加していたのだが、スタッフも増えてきたのでさすがに全員参加じゃなくてもいける、むしろ東京で仕事進めてくれ、となったのだ。
最初は「準備しなくていいし楽だな〜」と思っていたが、前々乗りしているメンバーたちの動きをSNSやメッセンジャーで見ていて、猛烈な寂しさがやってきた。現場に行かないのは体に悪い、という体になりつつあることを自覚した。
十分にウズウズしてから行った今年の森道も楽しかった。生で初めて見たナンバーガールは、本当に実在したんだ、と拝みながら見た。中尾憲太郎の格好よさ!!! 見終わったあと、しばらく一人でボーゼンとしていた。
会場入口に設置されていた大きなパネル看板に一番グッときたかもしれない。そこには岩瀬さんの顔が大きく描かれていた。看板と一緒に写真を撮るお客さんが列になっていて、岩瀬さんを知らない人も森道の思い出として写真を撮って、知らず知らずのうちに残っていくのが最高だなと思った。「あれ誰なんだろうね」みたいになって、「森道おじさん」的な存在に岩瀬さんがなっていったら面白いですよね、と山田さんと会場で話したが、本当にそう思っている。
森道を終えた山田さんや順子さんの話をまたゆっくり聞きたいし、この先の森道がどんな風に続いていくか追い続けたい。
愛知からそのまま長野に行くから、とHuuuuの撤収組として参加したのだが、結果とてもよかった。最終日の夜、会場を出ていく車に「お疲れ様でした!」と声をかけ合う瞬間が好きだし、パーヴェイヤーズのデカいテントを解体する瞬間に一番、森道を感じる気がする。
自分がスタッフ参加しなくても回るくらいにHuuuuのメンバーが充実してきたのは嬉しくもあるのだけれど、来年はもう少し現場へ行きたい。
仕事に追われながらもなんとかくぐり抜けて現場へ向かう瞬間が好きだし、そういう現場で飲む酒は美味い。そんなことを改めて思った。
(森道は関係ないですが、最近聴いてる最高の曲です)
2019年の仕事まとめ
『逃げ恥』の再放送を夫婦で見ながら騒いでいたら、一気に押し寄せる年末感。今年は『いだてん』が面白かったなあ。紅白で限界突破するらしい氷川きよしも楽しみです。
さて、岡山へ帰省する新幹線で1年を振り返ります。
編集長を2ヶ月で辞め、取締役と再びの編集長に
今年は『BAMP』にまつわるあれこれが本当に大きかったです。5月に編集長へ就任したものの、7月をもってHuuuuの撤退が決定。編集長としての仕事は束の間でしたが、しかしBAMPに関わった2年間は編集者として、本当に大きな経験でした。
力のある編集者・ライターの人たちにBAMPで自分がどんな編集をしたいのか問われ、考え続けてきたこと。編集長への就任以降、「BAMPとは何か」を改めて言語化すべく議論を重ねてきたこと。「なぜこのメディアで記事を作るのか」を常に考えながら、記事を編集したこと。単発ではない「面」の編集の面白さをここで知ることができました。
そして、9月からはHuuuuの取締役/編集部長に就任。同じタイミングで日向コイケくんがHuuuu初の社員となり、チーム体制も大きく変わりました。
10月からはオフィスを間借りさせていただく「移動型編集部」も始まり、会社員以来の固定オフィスが。週3くらいでどこかに通ういまの働き方がどうやら自分には合っていたらしく、このあたりから色々と整った感があります。
そして11月には、モメンタム・ホースとの合同自社メディア「CAIXA」がスタート。編集長に就任しました。
CAIXAに関しては来年前半が勝負という感じなので、ここからアクセルをグッと入れて盛り上げていきたいです。
編集者仕事としては、11月から始まったシリーズ連載「フリーランスの進路相談室」が面白いです。
とかくグラグラした世の中で、これから僕たち私たちはどう働いていけばいいんだろう?という悩みを、フリーランスの先輩方に聞いていくインタビュー連載。編集者の山中康司さんをはじめ、チームを組んで問いを深めていくのはワクワクします。現在4回まで公開中ですので、未見の方はこの機会にぜひ。
ジモコロでも50〜60本くらい編集したと思うのですが、特にカルチャー系の記事をいろいろ作ることができました。
ローカルや一次産業の記事だけでなく、こうしていろんなジャンルの記事を出せるのは懐の広いクライアントのアイデムさんのおかげです……いつもありがとうございます!!!
2019年に書いた記事
今年はあんまり記事が書けませんでした。ただ、やっぱり自分はプレイヤーでいたいので、来年は倍書きます。
少ないぶん、書いた記事はどれも思い入れが深いです。ジモコロでライターとして書いた記事の5本中3本が林業関係なのは笑ってしまった。ルーツも海より山なので、これは来年以降も追いたいテーマです。
【ジモコロ】
※構成を担当
【BAMP】
【Gyoppy!】
【その他】
JAグループの雑誌『家の光』でマシンガンズ滝沢秀一さんのインタビュー執筆を担当しました。滝沢さんは芸人とゴミ清掃員を兼業する異色の存在。日本のゴミ事情の話、知らないことばかりで面白かったですhttps://t.co/N9xGbBb793 pic.twitter.com/jBQXf7SfKp
— 友光だんご (@inutekina) 2019年10月4日
人前で喋る仕事
喋る仕事をお声がけいただくことがうんと増えた年でした。苦手意識があったものの、司会系のものはふだんの取材の延長的な感覚でやればいいことがわかってきたので、徐々に楽しめるようになってきました。
中高生に編集の授業をさせていただく機会もあって、これがとりわけ楽しかった。後日、参加した生徒のみんなからの感想をもらった時には泣きそうになりましたね。
ライター・編集のスキルを伝える仕事はすごくやりがいがあるので、Huuuuの事業の一つとしてどんどんやっていけたらいいな、と思ってます。
【司会】
・フリーランス協会さん主催『IPF2019』内トークセッション
・PLANETS the BLUEPRINT(2019.11.12放送回)浅見裕さん×山口拓也さん×宇野常寛さん「田舎フリーランスという生き方入門」
【講師・登壇】
・「ライター100人カイギ」vol.3
ライター100人カイギで登壇させていただきました。なに考えて今の仕事してるのか?を整理するありがたい機会で、人生初のグラレコにも…嬉しい…(描きやすい顔でよかった)交流会も楽しかったです。#ライター100人カイギ pic.twitter.com/PHWIt5Zre6
— 友光だんご (@inutekina) 2019年8月8日
・岡山市の発達障がいに関する市民講座にて取材報告
岡山市の市民講座へ登壇しました。ご一緒した精神科医の先生おふたり(とその娘さん)と。
— 友光だんご (@inutekina) 2019年6月29日
僕は専門外の視点で取材と報告、壇上で質問する役で、ライターって記事を書くだけじゃなくて「話を聞いて客観的に伝える」仕事だよな、と実感できる機会でした。ライターって面白い。 pic.twitter.com/v2MpdgMSgY
・和歌山の中学校で「地元の魅力の見つけ方/届け方」について授業
・山梨の高校で『街にコロがる魅力の伝え方&届け方』について授業
山梨・富士吉田で高校生に編集の授業をしてきました。富士吉田の「かえる舎」はチームも取り組みも最高だったな〜。#Huuuuの週報
— 友光だんご (@inutekina) 2019年10月29日
【週報】多動で過ぎゆく秋の香り(10/16〜10/29)https://t.co/gZ1iQCa7U9
「わかりあえない」を諦めない
去年も同じようなことを書きましたが、「人と一緒に働く」ことについて考え続けた1年でした。
最近考えているのは「わかりあえない」ことを諦めない、ということ。意見がぶつかったり、自分の期待を裏切られた時の対処法は大きくふたつに分かれると思います。怒るか、諦めて引くか。自分は後者の人間でした。
他人どうし、究極わかりあえない。夫婦関係なんかでもそう考えたほうが上手くいくこともあるのですが、そればっかりだと自分の首を絞めてしまうことにようやく気づき始めました。
わかりあえない、と感じた時でも、そこで諦めずにもう一歩踏み出すことで、その先の関係が生まれることがある。『逃げ恥』もまさにそんな、その先にある関係の尊さを描いたドラマだから面白いのだと思います。
ということで、2020年は諦めない1年にしたいです。書くことも、人と向き合うことも。
それでは、来年も友光だんごをよろしくお願いします!
☆あと“犬民藝”を載せるアカウント「友光わんこ」も細々やってますので、よろしければぜひフォローしてください。尻尾ふってよろこびます。
Instagram:https://www.instagram.com/tomomitsu_wanko/
2018年に書いた記事まとめと振りかえり
最近「木彫りの熊」の魅力に気づきました。友光だんごです。
去年は右も左もわからないドタバタのなか始まったので、頭からきっちり編集者兼ライターとして走り抜けたのは今年が初めて。
そんな2018年に書いた記事は計23本。媒体別にまとめておきます。
【ジモコロ】12本
振り返ってみるとジモコロはどれも特に好きな記事だな、と思います。基本はどれもインタビューで、ボリューム含め取材相手にしっかり向き合って話を聞き、書けるのが楽しい。
そのぶん宮城で取材した震災テーマの2本はこれまでで一番苦戦した記事かもしれません。難しいテーマに向き合う覚悟がもっと必要なことを痛感しました。
年始に取材した「15歳のコーヒー焙煎士」響さんのその後取材では、また会えたことと前回の記事をとても喜んでもらい、ライターをやっててよかったな、と強く実感しました。
夏に書いたUFOの記事は全然伸びなかったけれど自分としては楽しかった1本。書くことについて視界がだいぶ偏っていたタイミングだったので肩の力を抜いてえいやっと仕上げたのはだいぶリハビリになりました。
【BAMP】8本
「透明なパンツ」と「道東誘致大作戦」は手ごたえのあった2本。
特に前者は写真もこれだ、というものが撮れて楽しかった。BAMPに関しては編集同行の際に撮影も担当することが多くて、実はけっこう撮っています。
このあたりの写真は自分でも好きなやつです。
編集兼カメラマンで同行すると、話聞きながら撮影するマルチタスクに脳がオーバーヒートしかけることも度々なんですけど、最小限の人数で取材するフットワークの軽さとかシンプルさは好きで、今後も続けていきたいところ。
何より今年は写真を撮ることの面白さに目覚めた年でした。だからもっといいレンズが欲しい……そのためにも記事書いて稼がなきゃ……。
【個人の仕事】3本
個人の仕事は少なかった!
じゃらんとMOOOMの記事はカツセさん編集なんですが、カツセさんの編集は本当にホスピタリティがすごくて気持ちいい。いつもありがとうございます。
ヒラクさんの記事は横田さん編集で、これまた大先輩とのお仕事。ヒラクさんへライターとして取材するのも初でプレッシャーの大きい仕事でしたが、結果楽しい取材に。横田さんの編集も、こだわりがビンビンに感じられて学びしかなかった……!
個人の仕事はいい切り替えになるし、外の編集者さんと仕事するのは学びもめちゃくちゃ大きいので意識的にやっていきたい。
わりと東京にいますし地方へも行くのでお気軽にお声がけいただけると嬉しいです。
☆構成を担当
こんな仕事もやっていました。 たくさんは難しいけれど細々続けていけたらいいな。
2018年を振り返って
ほぼ柿次郎さんとのマンツーマンでヒーコラやってた去年に比べ、今年はHuuuuのメンバーも増えて楽になる……はずが、気づいたら別の課題が次から次に。
というのもチームになった結果、今度は「チーム運営」というどデカイ壁が出現してたんですね。
今まで経験したことのない中間のポジションになってしまって悶々と悩んでるうちに2018年は終わりました。でも色んな年上の先輩方に話を聞いてもらいアドバイスをいただいて、来年はもっとうまくやれそうな気がしています。というかやらなきゃやばい。死。もう一人では生きられない……。
ただ前職時代の悶々とは違って、これはいい悶々だと思っています。前向きな悶々。
絶対にやることも増えるんですが、きっちり記事は書いてライターとしてももっと成長したい。編集者もライターもまだまだやれるので、二つの仕事が半々くらいの配分にしていきたい。
最後になりましたが、今年お世話になった皆さんありがとうございました! 来年はもっと自分から人と会って行く年にしたいので、2019年もどうぞよろしくお願いします。
冒頭イラスト=なかむらしんたろう
2018年の夏休み
夏休み中の親方に会いに、突発的に京都へ向かった。そこからの数日間についての写真日記。
1日目 京都
夏の京都は久しぶりだった。
高校時代に、森見登美彦と西尾維新、万城目学の小説の影響で京都の大学生に憧れていた。皆で京都の街を歩きながら、不意に思い出した。
鴨川の川床と河川敷で飲んだビールは、当時の憧れをすうっと昇華させてくれる気持ちのいい味がした。
2日目 京都→滋賀→岐阜
京都へ一泊し、琵琶湖へ。
琵琶湖のほとりには動物の骨と魚の死骸。来るまでの車中で飛び交っていたメメントモリの話が呼んだよう。
車中から見た夏のおじさん。
夕立のあとの下鴨神社。
この日の夜の中華「駱駝」も素晴らしかった。おかんの薦める店は本当に間違いない。ガイドでお金をとれるレベル。
夜のうちに岐阜へ移動。
3日目 岐阜→飛騨
京都も暑かったが、岐阜もなかなかのものだった。「ディレディレカリー」でカレーを食べていても汗が吹き出す。
市内のさかだちブックスへ行きたかったが、残念ながらお盆休み。飛騨の白石さんに会えることになり、早々に飛騨へ向かうことになった。
7年ぶりの開催だという中野地区の夏祭りに飛び入り。祭り終盤のビンゴ大会で、どういうわけか3位を引き当ててしまう。しかもリーチ状態から最後の当たり番号を自分で引く流れ。
ブーイングの嵐だったらどうしよう、と思うもまったくの杞憂で、皆さんニコニコと祝福してくれる。ありがたい。
祭りのあとは白石さん宅へ移動し、さらに飲む。
白石さんたちがさっと作ってくれた料理がまた素晴らしく、お酒もすすむ。野菜がつくづく美味しい。
長旅の疲れが出たようで、親方は早々に就寝。われわれは1時ごろまで飲む。
一階の窓を全開にして、庭の池の水音を聞きながら就寝。えもいわれぬ幸せな夜だった。
4日目 飛騨→長野
翌日は朝風呂ののち、古民家で民芸の品を扱う「やわい屋」へ。
その後は飛騨古川の町を散策。「壱之町珈琲店」、「FabCafe Hida」へ。
「三嶋和ろうそく店」にも立ち寄った。
この後、長野まで車へ移動し、新幹線で東京へ戻る。降って湧いたような夏休みが終わり、また日常へ。
もらいすぎた2017年のまとめ
クマと一緒にこんにちは。僕にとっての2017年は本当に節目の年でした。
こんなに人生変わることあるんだな、と。なにしろまず名前が変わりましたから。
カレンダーを見返すと、僕の退職メールを受け取って徳谷柿次郎さんから電話がかかってきたのが1月10日。
その3日後に自腹でジモコロの兵庫取材について行ったところから、怒涛の1年が始まっています。
兵庫でのTAKA VIDEO CAMP取材中。人生の岐路に立ち揺れている顔をしています(写真:小林直博)
ちなみに「友光だんご」になったのは2月。深夜に突然「ペンネーム考えました!」というメッセが来て、6パターン送られてきたうちの一つでした。
一晩寝かせるくらいには悩んだのですが、気づいたらだんごになってました。
結果、メリットしかなかったです。覚えてもらえやすいことと、変身したみたいな感覚があって。
いきなりウェブ上に顔出しして「こんにちは、友光だんごです!」なんてやるようになったのですが、別人格みたいな感じがあって恥ずかしさとかなくスッと入れたんですよね。
もはや「友光さん」と呼ばれる方が少なくて違和感あるので、慣れってすごい。
走りながら慣れて、試されて
北海道・下川町にて。地元の方に教わった舞いが気に入っているところです(写真:藤原慶)
そんな名付け親であり親方である柿次郎さんには感謝してもしきれません。
紙の経験こそあれウェブ編集の素人である僕に一から教えてくれ、公私ともに色んな機会をいただいて。
というより、公私の境のない働き方の面白さを教えてくれた、といってもいいかもしれません。
飲み会で、旅先で、さまざまな場所で出会った人とつながり、気づけば仕事になっている。「編集者」という仕事の面白さを、出版社のときの数倍感じられるようになりました。
全てにおいて走りながら慣れる怒涛の日々でしたが、入ってくる刺激が多すぎて辛さを感じてる暇もなく。環境変化への耐性はだいぶついたと思います。
所属する「Huuuu」の皆さん。こんな愉快なチームにも入れました(写真:藤原慶)
柿次郎さんには繰り返し「エピソードトーク力をつけろ!」「飲み会で爪痕を残せ!」と言われてきたのですが、「何者か試される場面」もムチャクチャ増えました。
取材先ではもちろんなんですが、編集者の藤本さんやかもめブックスの柳下さんをはじめ「経験値のヤバい強いおじさん」たちと知り合う機会をたくさんいただけて。
そんな時に必要な自分の引き出しと経験値の無さを思い知る1年でもありました。
飲み会で「心を剥かれる」=(自分では意識していない本質的なところを指摘される)ことも多かったです。
数え切れないほど心を剥かれて自分を客観視できた結果、SUUMOタウンの記事は書けたような気がします。
心剥かれナイトで一番覚えているのは、大阪のホテルで深夜3時まで柳下さん・小倉ヒラクさん・柿次郎さんに剥かれた回で。
あの時ヒラクさんに
「だんごが『岡山に帰りたい』って言うのはさ、タラレバ娘の『結婚したい』ってのと一緒だよね」
と言われたのが衝撃すぎたからこそ、『「岡山へ帰りたい」は「何もかも捨てて遠くへ行きたい」みたいな逃げの感情だった』ことに気づくことができました。
ちなみにその夜の衝撃を引きずったままの翌朝、大阪から松本へ向かった結果、電車にiPhoneを忘れました。いろんなショックで目が泳ぎまくっている。
現場のマジックを教えてもらった
では、ライターとして思い出ぶかい記事を。
この2本は「ジモコロらしさ」みたいなものをガツンと味わうことのできた記事です。
というのも、取材相手はどちらも現地の人に教えてもらい、たまたま出会った人たち。
その場で話を聞くうち面白い話がボロボロ出てきて「これは記事にしなければ!」と思う瞬間のワクワク感はすさまじいものがあります。
そんな「現場のマジック」を早い段階で知ることができたのはラッキーでした。
特に“マッドサイエンティスト農家”の山澤さんは「この内容で面白い記事にならなかったらライター失格だな…」というくらいパンチライン全開の取材で。
とても楽しく書けましたし、いろんな反応を見ると山澤さんの思想の部分まできっちり届いた感があって、自分にとって大事な記事になりました。
15歳の焙煎士・岩野響さんとは、たまたま一切メディアに出ていないタイミングで会うことができて。彼と話をして、柿次郎さんと「絶対すぐに取材が来る!ジモコロで一番に記事にしましょう!」と話し、帰ったその日に原稿を書いたのを覚えています。
その後の響さんは数え切れないほどテレビや雑誌で取り上げられ、先日2冊の本も出版。
コーヒーはぼくの杖~発達障害の少年が家族と見つけた大切なもの
- 作者: 岩野響,岩野開人,岩野久美子
- 出版社/メーカー: 三才ブックス
- 発売日: 2017/12/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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15歳のコーヒー屋さん 発達障害のぼくができることから ぼくにしかできないことへ
- 作者: 岩野響
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2017/12/21
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
彼が世に出るタイミングに運良く立ち会うことができたのは、とても貴重な経験だったと思っています。
社会への解像度が上がった
ジモコロが「ローカル」の面白さを教えてくれた一方、5月にスタートしたBAMPは「社会への解像度」をグッと上げてくれました。
この社会には、大勢の“困っている”人々がいる。しかし、その姿が私たちの目に入ることは決して多くはない。雑踏に、どこかの家の中に、彼らはひっそりと存在している。
とPIECIESの荒井さんの記事で書いたのですが、本当に、今までの自分の視界は狭くてぼんやりしていたのだなとBAMPを通じて痛感しました。
現場で当事者と関わる人たちの言葉は重いし、深い。
彼らの話を聞くと「これは世の中に伝えなければ!」と心から思えましたし、その熱をまっすぐにぶつけられるBAMPというメディアに関われているのもありがたいです。
BAMP忘年会にて。来年BAMPでやりたいことはたくさん!(写真:なかむらしんたろう)
まとめ
今年をまとめると「もらいすぎた」1年です。これに尽きます。
柿次郎さんをはじめ、いろんな人から機会や出会いを与えてもらいすぎて、自分はどれだけ返せてるんだ?と焦るくらいで。
もっと外に出て人と会い、話して、人のために時間を使う。自分の言葉を、思考を磨いて深くする。
でなければあっという間についていけなくなってしまう場所だと思っています。
出会いがつながり、企画が生まれ記事になり、また新たな出会いを呼ぶ……という面白さを肌で感じた1年でした。来年はその連鎖を自分からどんどん生んでいきたいです。そして行動から、もらったものを返していけたらと思っています。
2018年、ワクワクすることばかりです。来年もどうぞよろしくお願いいたします!