ライター編集者・友光だんご日記

編集者/ライター・友光哲(友光だんご)の日記です。

もらいすぎた2017年のまとめ

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クマと一緒にこんにちは。僕にとっての2017年は本当に節目の年でした。

こんなに人生変わることあるんだな、と。なにしろまず名前が変わりましたから。

 

カレンダーを見返すと、僕の退職メールを受け取って徳谷柿次郎さんから電話がかかってきたのが1月10日。

その3日後に自腹でジモコロの兵庫取材について行ったところから、怒涛の1年が始まっています。

 

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兵庫でのTAKA VIDEO CAMP取材中。人生の岐路に立ち揺れている顔をしています(写真:小林直博)

 

ちなみに「友光だんご」になったのは2月。深夜に突然「ペンネーム考えました!」というメッセが来て、6パターン送られてきたうちの一つでした。

 

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一晩寝かせるくらいには悩んだのですが、気づいたらだんごになってました。

 

結果、メリットしかなかったです。覚えてもらえやすいことと、変身したみたいな感覚があって。

いきなりウェブ上に顔出しして「こんにちは、友光だんごです!」なんてやるようになったのですが、別人格みたいな感じがあって恥ずかしさとかなくスッと入れたんですよね。

もはや「友光さん」と呼ばれる方が少なくて違和感あるので、慣れってすごい。

 

 

走りながら慣れて、試されて

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北海道・下川町にて。地元の方に教わった舞いが気に入っているところです(写真:藤原慶)

そんな名付け親であり親方である柿次郎さんには感謝してもしきれません。

紙の経験こそあれウェブ編集の素人である僕に一から教えてくれ、公私ともに色んな機会をいただいて。

 

というより、公私の境のない働き方の面白さを教えてくれた、といってもいいかもしれません。

飲み会で、旅先で、さまざまな場所で出会った人とつながり、気づけば仕事になっている。「編集者」という仕事の面白さを、出版社のときの数倍感じられるようになりました。

 

全てにおいて走りながら慣れる怒涛の日々でしたが、入ってくる刺激が多すぎて辛さを感じてる暇もなく。環境変化への耐性はだいぶついたと思います。

 

 

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所属する「Huuuu」の皆さん。こんな愉快なチームにも入れました(写真:藤原慶)

 

柿次郎さんには繰り返し「エピソードトーク力をつけろ!」「飲み会で爪痕を残せ!」と言われてきたのですが、「何者か試される場面」もムチャクチャ増えました。

 

取材先ではもちろんなんですが、編集者の藤本さんやかもめブックスの柳下さんをはじめ「経験値のヤバい強いおじさん」たちと知り合う機会をたくさんいただけて。

そんな時に必要な自分の引き出しと経験値の無さを思い知る1年でもありました。

 

飲み会で「心を剥かれる」=(自分では意識していない本質的なところを指摘される)ことも多かったです。 

数え切れないほど心を剥かれて自分を客観視できた結果、SUUMOタウンの記事は書けたような気がします。

 

 

心剥かれナイトで一番覚えているのは、大阪のホテルで深夜3時まで柳下さん・小倉ヒラクさん・柿次郎さんに剥かれた回で。

あの時ヒラクさんに

「だんごが『岡山に帰りたい』って言うのはさ、タラレバ娘の『結婚したい』ってのと一緒だよね」

と言われたのが衝撃すぎたからこそ、『「岡山へ帰りたい」は「何もかも捨てて遠くへ行きたい」みたいな逃げの感情だった』ことに気づくことができました。

 

ちなみにその夜の衝撃を引きずったままの翌朝、大阪から松本へ向かった結果、電車にiPhoneを忘れました。いろんなショックで目が泳ぎまくっている。

 

 

現場のマジックを教えてもらった

では、ライターとして思い出ぶかい記事を。

 

この2本は「ジモコロらしさ」みたいなものをガツンと味わうことのできた記事です。

 

というのも、取材相手はどちらも現地の人に教えてもらい、たまたま出会った人たち。

その場で話を聞くうち面白い話がボロボロ出てきて「これは記事にしなければ!」と思う瞬間のワクワク感はすさまじいものがあります。

そんな「現場のマジック」を早い段階で知ることができたのはラッキーでした。

 

特に“マッドサイエンティスト農家”の山澤さんは「この内容で面白い記事にならなかったらライター失格だな…」というくらいパンチライン全開の取材で。

とても楽しく書けましたし、いろんな反応を見ると山澤さんの思想の部分まできっちり届いた感があって、自分にとって大事な記事になりました。

  

15歳の焙煎士・岩野響さんとは、たまたま一切メディアに出ていないタイミングで会うことができて。彼と話をして、柿次郎さんと「絶対すぐに取材が来る!ジモコロで一番に記事にしましょう!」と話し、帰ったその日に原稿を書いたのを覚えています。

 

その後の響さんは数え切れないほどテレビや雑誌で取り上げられ、先日2冊の本も出版。

コーヒーはぼくの杖~発達障害の少年が家族と見つけた大切なもの

コーヒーはぼくの杖~発達障害の少年が家族と見つけた大切なもの

 

彼が世に出るタイミングに運良く立ち会うことができたのは、とても貴重な経験だったと思っています。

 

 

社会への解像度が上がった

ジモコロが「ローカル」の面白さを教えてくれた一方、5月にスタートしたBAMPは「社会への解像度」をグッと上げてくれました。

 

 

この社会には、大勢の“困っている”人々がいる。しかし、その姿が私たちの目に入ることは決して多くはない。雑踏に、どこかの家の中に、彼らはひっそりと存在している。

 

とPIECIESの荒井さんの記事で書いたのですが、本当に、今までの自分の視界は狭くてぼんやりしていたのだなとBAMPを通じて痛感しました。

現場で当事者と関わる人たちの言葉は重いし、深い。

彼らの話を聞くと「これは世の中に伝えなければ!」と心から思えましたし、その熱をまっすぐにぶつけられるBAMPというメディアに関われているのもありがたいです。

 

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BAMP忘年会にて。来年BAMPでやりたいことはたくさん!(写真:なかむらしんたろう)

 

 

まとめ

今年をまとめると「もらいすぎた」1年です。これに尽きます。

柿次郎さんをはじめ、いろんな人から機会や出会いを与えてもらいすぎて、自分はどれだけ返せてるんだ?と焦るくらいで。

 

もっと外に出て人と会い、話して、人のために時間を使う。自分の言葉を、思考を磨いて深くする。

でなければあっという間についていけなくなってしまう場所だと思っています。

 

出会いがつながり、企画が生まれ記事になり、また新たな出会いを呼ぶ……という面白さを肌で感じた1年でした。来年はその連鎖を自分からどんどん生んでいきたいです。そして行動から、もらったものを返していけたらと思っています。

 

2018年、ワクワクすることばかりです。来年もどうぞよろしくお願いいたします!